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鈴木従道 : ウィキペディア日本語版
鈴木従道[すずき つぐみち]

鈴木 従道(すずき つぐみち、1945年10月16日 - )は、日本の元陸上選手で指導者。1968年メキシコシティオリンピック陸上競技男子10000メートル日本代表。
== 経歴 ==
栃木県塩谷郡塩谷町出身。1961年4月、栃木県立矢板高等学校入学。チームは高校駅伝に3年連続で栃木代表として出場。1年時(1961年)は4区区間4位(26分24秒)、2年時(1962年)は1区区間11位(31分43秒)、3年時は1区区間4位(30分32秒)の成績を修める。
1964年4月、日本大学に進学、大学では釜本文男監督の指導を受けて箱根駅伝では1965年、1967年、1968年と3度優勝。
1968年、大学卒業と共に東洋ベアリング(現:NTN)に入社〔 読売新聞「箱根駅伝2014」2013年11月9日閲覧〕。同年にはメキシコシティオリンピック陸上男子10000mの代表となった。結果は21位。1969年、日本選手権 5000mで優勝。
トラック長距離選手としては澤木啓祐に次ぐ存在で、故障が多く殆ど国内大会を走っていない澤木にかわって、ナイター陸上等では期待を一身に背負って外国招待選手相手に健闘した。
1988年のダイハツ女子陸上部創部に伴い監督に就任。同陸上部に所属していた1992年バルセロナオリンピック女子マラソン日本代表の小鴨由水や、1993年世界陸上シュトゥットガルト大会女子マラソン優勝の浅利純子らを育てあげ、ダイハツ陸上部の一時代を築いた。2005年定年によりダイハツ陸上部を退職。
現在は競歩選手のコーチとして活動中。2008年北京オリンピック7位入賞の山崎勇喜長谷川体育施設)などを指導している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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