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藤木悠[すずき ゆうぞう]
藤木 悠(ふじき ゆう、1931年3月2日 - 2005年12月19日)は、日本の俳優。東京府荏原郡荏原町(現・東京都品川区)出身の大阪府大阪市西成区育ち。身長180cm。血液型A型。趣味・特技はフェンシング。本名は鈴木 悠蔵(すずき ゆうぞう)。 == 来歴・人物 == 大阪府立鳳高等学校、同志社大学文学部卒業。大学在学中の1951年、全日本フェンシング選手権大会男子エペ個人優勝〔。後に映画『リオの若大将』では出演すると共にフェンシングシーンの監修もおこなった。1953年、東宝ニューフェイス第6期に合格、同期に岡田眞澄・宝田明・佐原健二・河内桃子がいた。翌年の映画『魔子恐るべし』でデビュー。『イカサマ紳士録』(1956年)の競馬予想屋役で注目され、『サラリーマンシリーズ』(1961年)で人気となり、共演した高島忠夫とは親友だった〔。ほかには『隠し砦の三悪人』(1958年)、『小早川家の秋』(1961年)や『キングコング対ゴジラ』(1962年)、テレビドラマ『青春とはなんだ』に出演し、1974年にフリー〔。 テレビドラマ『アイフル大作戦』では主人公役の小川真由美に振り回される刑事をコミカルに、『バーディー大作戦』と『Gメン'75』では叩き上げのベテラン刑事を演じた。千葉真一主演の時代劇『柳生あばれ旅』(1980年)では相棒役の桜木健一と毎話絶妙な掛け合いを演じ〔、1980年代にフジテレビの火曜ワイドスペシャルで放送された『タケちゃんの思わず笑ってしまいました』では、刑事ドラマをパロディにした「太陽に叫べ!」でニンニク刑事役を演じた。 『Gメン'75』に出演していた頃、「少し風邪を引いただけで弱気になって、死ぬ、死ぬと連呼する」と雑誌にエピソードを紹介されるほどだった一方で、仕事が好調だったこともあって毎日暴飲暴食と痛飲を繰り返し、「オレは不死身悠だ!」などと自分の名を洒落て豪語していた(「あの頃はころころに肥っちゃってたんだよね」と晩年に述懐している)。が、それがたたり、のちに糖尿病を発症、末梢神経障害で足の指先を少しではあるが、切除することとなった。以後、妻の協力もあり、健康に気をつけ、自らの体験談から糖尿病に対する警告を促していた。 2005年12月19日、肺血栓塞栓症による多臓器不全により、74歳で死去〔。この年公開された映画『北の零年』が遺作となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤木悠」の詳細全文を読む
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