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鈴木 成脩(すずき なりまさ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。戦国大名・後北条氏の馬廻衆弓大将で、剛弓の名手として高名をうたわれた。通称は大学頭または大学助。 == 略歴 == 鈴木成脩は、相模国酒匂宿の鈴木氏の出とされ、父は鈴木大学助と伝わる。また、小田原衆所領役帳に見える「鈴木大学助」も同人と考えられ、中郡厚木之内、西郡福正分で百二十貫文の知行を有した。成脩は御馬廻衆四十八番将の一人として、合印は「ぬ」印であった。天正18年(1590年)に豊臣秀吉が後北条氏を攻めた小田原征伐で、成脩は後北条氏の弓大将として奮戦したが、遂に小田原城渋取口で討死したことが「北条五代記」に記されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木成脩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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