|
鈴木 早智子(すずき さちこ、1969年2月22日 - )は、日本のタレント、女優、歌手であり、Wink(現在活動停止中)のメンバーである。本名同じ。 愛知県〔鈴木早智子オフィシャルブログ(2008.05-2009.12) 〕出身。センス・プロダクション所属。愛称はさっちん。 == 来歴 == 愛知県名古屋市で、3兄弟(4歳下に弟、8歳下に妹)の長女として生まれる。その後東京都目黒区、埼玉県草加市と転居が続く。幼少の頃から歌手に憧れていた。 1986年、第1回「ロッテCMアイドルは君だ!」コンテストに出場し、最終選考まで残る〔この時のグランプリは立花理佐。〕。オスカープロモーションに所属するが、入学した高校が芸能活動を禁止していたために自主退学。アルバイトとレッスンの日々を送る。 1987年7月、ワニブックス社の雑誌『UP TO BOY』の第7代ミスアップ・グランプリを受賞(第9代グランプリが後にWinkとしてデュオを組むことになる相田翔子)。 1988年4月、相田翔子と結成したWinkとしてシングル『Sugar Baby Love』で歌手デビュー。アルバム内のソロ楽曲ではクール・アンド・ザ・ギャングのカバーや来生たかおの提供曲などを歌っている。また鈴木本人もMiyoko.Aというペンネームで数曲の作詞を手掛けている。活動中から相田と同じく単独で映画、ドラマにも数度出演。 1996年のWink活動停止後は、プロダクション尾木系列の尾木エージェンシー(1998年4月、ネバーランドに改編)に移籍し、ドラマや舞台で活動。 歌手活動からしばらく遠ざかっていた1998年5月から、テレビ東京のリアリティ番組『ASAYAN』で、小室哲哉プロデュース権を賭けた「再起に賭ける芸能人」〔日本国内をはじめ、中国、香港、東南アジア諸国等を市場とした女性向け煙草のコマーシャルの、イメージソングCDリリース歌手を選出するプロジェクトだった。そのため、20歳以上の女性が出場者として選出された。この事項は、『ASAYAN』で小室哲哉が語った。〕に出演。ニューヨークで共同生活をしながらレッスンを行う企画であったが、鈴木は共同生活を拒否したり、レッスンの途中で退場したりするなど周りと同調しない様子を見せていた(なお、鈴木はレッスン当初からニューヨークで単独生活することが、『ASAYAN』のスタッフから確約されていた〔鈴木早智子『負けじ魂』、光文社、2010年11月。〕。しかし、単独生活については他のレッスン参加者に最初から伝えられておらず、ニューヨーク到着初日に鈴木からレッスン参加者に直接伝えるよう同番組スタッフに命じられていた〔鈴木早智子『負けじ魂』、光文社、2010年11月。〕。鈴木のレッスン風景のほとんどが放送でカットされ、彼女のレッスン中の小休止の部分が強調された結果による上記の行動は、『ASAYAN』によるやらせ演出であり、これら一連の『ASAYAN』の「再起に賭ける芸能人」の演出は、『単独で出演したバラエティー番組での「許せなかった出来事」』と、後年自著で述べている〔鈴木早智子『負けじ魂』、光文社、2010年11月。〕)〔鈴木は、ニューヨークでのレッスン中、ミュージカル『ミス・サイゴン』のナンバー「I STILL BELIEVE(今も信じてるわ)」を披露している。〕。 1998年8月上旬、『ASAYAN』の「再起に賭ける芸能人」のニューヨークでのレッスン後半、バンダイ・ミュージックエンタテインメント(現・ランティス)からCDリリースの打診を受け、「再起に賭ける芸能人」を離脱(中途帰国)した。同年10月、Wink活動停止後初のソロ・シングル「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を発売。 2003年、Wink活動停止後初のソロ・アルバム『零〜re-generation〜』を発売、翌年にはライブを行う。 2008年12月、『第50回日本レコード大賞』に相田翔子と2人でWinkとしてゲスト出演、「淋しい熱帯魚」を歌唱した 。 2009年9月、『SEPTEMBER SHOCK 鈴木早智子』というアダルトイメージビデオに出演。 2010年6月17日発売の『週刊文春』(文藝春秋)で、俳優・津田英佑と4年にもわたって不倫関係にあったことが報じられ、この影響で当面の間の芸能活動自粛を発表。 2010年11月、初の自叙伝『負けじ魂』を出版。芸能活動復帰を発表した。 現在は舞台、ラジオ、テレビ番組・映画に出演しつつ、写真集を発表するといった芸能活動を行っている。1980年代アイドルが集まる番組に出演する機会も多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木早智子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|