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鈴木率道 : ウィキペディア日本語版
鈴木率道[すずき よりみち]

鈴木 率道(すずき よりみち、1890年2月18日 - 1943年8月5日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将栄典は、従三位勲一等功三級
==経歴==
広島県出身。陸士22期、陸大30期(首席)。ちなみに、陸大30期の次席は、石原莞爾である。なお、永田鉄山が主導した陸軍革新グループの中では例外的な首席者であった。
対ソ作戦の戦術家として知られ、参謀本部の作戦課課員、作戦班長を歴任。「統帥綱領」の再改訂等の重要施策に携わった。いわゆる皇道派に属し、1932年真崎甚三郎参謀次長の下、中佐でありながら原則として大佐職の作戦課長に異例の抜擢を受ける。しかし参謀本部内では、国家総動員体制の確立を図る永田鉄山第2部長、東條英機編制動員課長と、あくまで対ソ戦を重視する小畑敏四郎第3部長、鈴木作戦課長の対立が激化。細密で秩序にこだわる東條と傲岸狷介な鈴木では性格的にも合わず、両者は犬猿の仲となる。永田、小畑らが去った後も、統制派、皇道派の抗争の象徴となる形で混乱が続くが、結局は二・二六事件後、鈴木も参謀本部から追われ、省部中央に返り咲くことはなかった。鈴木は第一次世界大戦後にフランス駐在武官を勤め、欧米各国の航空隊の発展をつぶさにし収集し、その後の陸軍航空隊の発展に尽力した航空隊育ての親であるが、前述の経緯もあって東條に疎まれ、1943年5月には物資統制令違反を名目に第2航空軍司令官を解職、予備役に編入され同年8月に没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鈴木率道」の詳細全文を読む



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