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鈴木虎雄 : ウィキペディア日本語版
鈴木虎雄[すずき とらお]

鈴木 虎雄(すずき とらお、1878年明治11年〉1月18日 - 1963年昭和38年〉1月20日)は、古典中国文学者新潟県西蒲原郡粟生津村(のち吉田町、現在は燕市に合併)出身。
==人物==
父は長善館二代館主鈴木惕軒で、その八男(戸籍上は五男)。一時大橋家の養子となり、大橋姓を称したが、後に鈴木姓に復した。甥には岩手県知事(官選)を務めた鈴木脩蔵がいる。妻は陸羯南次女・鶴代で、岳父羯南の著作や詩を収めた文集『羯南文録』(大日社、1938年)を編んでいる。
幼少時は長善館で父惕軒に師事する。上京後、東京英語学校東京府尋常中学第一高等中学校で学び、1900年(明治33年)、東京帝国大学文科大学漢学科卒業。日本新聞社台湾日日新報社東京高等師範学校東京教育大学筑波大学の前身)講師・教授などを経て、1908年(明治41年)に新設間もない京都帝国大学文科大学助教授に就任する。1919年大正8年)には教授、1938年(昭和13年)に名誉教授。1939年(昭和14年)より帝国学士院会員。1958年(昭和33年)に文化功労者1961年(昭和36年)に文化勲章受章。
日本における中国文学・文化研究(中国学)の創始者の一人で、東洋学における京都学派の発足にも寄与した、著名な弟子に吉川幸次郎小川環樹らがいる。多くの古典漢詩を訳解を著述し、自身も漢詩を多く作成した。を漢詩では豹軒、和歌では葯房と称し「豹軒詩紗」、「葯房主人歌草」などがある。
新聞『日本』では「葯房漫艸」を連載し、病に倒れた正岡子規に代わり短歌撰者を務めた。
晩年には『良寛全集』(東郷豊治編、東京創元社、初版1957年、読売文学賞受賞)の漢詩校閲を行い、最晩年(1962年)に、私家版で父の詩文集『鈴木惕軒先生年譜』を編んでいる。
追悼文集に『名誉町民 豹軒鈴木虎雄先生』(吉田町教育委員会刊、非売品、1964年)。
生涯にわたり収集した、漢籍を軸とする約14,000冊の旧蔵書は、京都大学文学部図書室に収蔵され、蔵書目録が発刊されている(鈴木文庫目録 正・続編, 1956-68年)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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