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鈴木 輝昭(すずき てるあき、1958年2月16日 - )は、日本の作曲家。 宮城県仙台市に生まれる。桐朋学園大学作曲科を経て同大学研究科を修了。三善晃に師事。妻はピアニストの鈴木あずさ。 緻密な書法や「ひぐらしのモティーフ」などの斬新な手法で、近年は特に合唱曲の分野で、中学生から一般合唱団まで幅広い世代からの支持を受けている。全日本合唱コンクール、NHK全国学校音楽コンクールの自由曲で選曲する学校が非常に多く、両コンクールの自由曲を委嘱する中学校、高校も多い。 現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師。 == 詳細 == 桐朋学園大学に入学する以前に、ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノのための「ソナタ」で第46回日本音楽コンクール第1位を受賞。この作品が彼の公式のデビュー作だと思われる。 今日、合唱界で幅広く活躍している彼であるが、大学時代においては、日本の合唱曲、あるいは調性音楽にあまり関心を示していなかったという。だが、師である三善晃の「麦藁帽子」や「三つの抒情」などに接して、考えを改めた。調性音楽は彼にとって、(音楽史の上での)「過去の音楽」から、「むしろこれから本気になって開拓していける分野」に変化した。『ハーモニー』の「鈴木輝昭合唱作品リスト」に、最初に掲載されているオペラ「オリザのねがい」(1983年)は、「本格的に調性音楽を書いた」〔同 pp.14-15〕最初の作品だという。 調性に目覚めたとはいえ、それまで興味を示していた現代的な手法も保持し続けた。彼は、合唱曲「森へ」(1992年)において、「交響的変容」(1985年)をはじめとして、器楽作品で試みられていた彼独自の手法「ひぐらしのモティーフ」を、全面的に使用する。第47回全日本合唱コンクール(1994年)において、福島県立安積女子高等学校合唱団がこの曲をとりあげ、金賞(総合順位1位)を獲得。この年を境に、鈴木作品をコンクールでとりあげる団体が増加した。審査員の苦言(コンクールの自由曲が「特定の作曲家」「一部の作品(コンクールで勝てる曲)」に集中している)も多く、合唱の本来あるべき姿を問いただす声が上がっている。 初期の作品「四つの優しき歌」においては、「師匠の影響がたいへん濃い」〔同 p.15〕と語っている彼も、合唱曲作曲家として、これまでの日本の作曲家があまり行っていないことに挑戦している。合唱曲のテキストに、さまざまな外国語、それも英語やラテン語、イタリア語だけでなく(そのレベルなら行った作曲家は少なくないだろう)、古代ギリシャ語、古代ケルト語、アイヌ語のような、声楽曲としてはマイナーな言語も採用するということである。彼によると、「日本語の引力から離れたところでさまざまな音の形質を探りたい」〔同 p.20〕のだという。彼のこうした姿勢に対しては批判もある。たとえば、谷川俊太郎の詩を英語に訳したものをテキストにした「Seven Songs of Nonsense」に対して、鈴木茂明はコンクール審査のコメントとして、このように言っている。「このような場でどうして日本人が日本語の詩を英訳したものをわざわざ歌わなければいけないのか、ぼくにはわからない。変わったものを求めるだけの興味本意なのか、その他に何か意味があるのでしょうか?」(『ハーモニー』No.135、全日本合唱連盟、2006年、p.21。)実際、この作品は、日本の合唱団が、日本で演奏するために作曲されたものである。 合唱作品の出版や録音が数多く行われる一方で、器楽の分野はそれほど知られてはいない。しかしながら、アール・レスピランに参加しており、数年に1回のペースで室内管弦楽曲を発表している。室内楽では、打楽器を含む編成が多いのが特徴である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木輝昭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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