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鈴木 隆行(すずき たかゆき、1976年6月5日 - )は、茨城県日立市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。夫人はモデルの橋本優子。元日本代表。 == 来歴 == === Jリーグデビュー - 各地へのレンタル移籍 === 茨城県立日立工業高等学校では1年から国体に出場、2年の頃には地元のJリーグクラブ・鹿島アントラーズに声をかけられるほど注目されていた。3年でも中田英寿らと共にカテゴリー別の日本代表にも選出されるなど全国区の選手だった。しかし、日立工高にはサッカーを教えることのできる指導者はおらず、監督は鈴木に練習メニューを作らせていた。後に鈴木は「(鹿島入団まで)まともにサッカーを習ったことがなかった」〔鈴木隆行 「5カ国10クラブを渡り歩く男の哲学。」 - Number Web(2011年7月29日)〕、「ただ遊んでいただけでした」〔鈴木隆行「先輩からのメッセージ」 "夢を叶える" - いばキラTV(2014年12月7日)〕と振り返る。 高校卒業後の1995年、鹿島アントラーズに入団。1996年10月16日に行われた試合(第24節)でJリーグデビューを果たした。 しかしその後はトップチームでの出場機会に恵まれず、1997年3月から9月、ブラジルのリオデジャネイロ州3部リーグに新設された、ジーコが出資し自ら会長を務めるクラブ、CFZ・ド・リオへとレンタル移籍する。ここで21試合7得点の成績を挙げ、リオ州2部昇格に貢献しジーコの期待に応えた。 レンタル期間終了後は鹿島へと復帰し背番号9を与えられたが、1998年度シーズンの途中にジェフ市原へ期限付き移籍。J1参入決定戦のアビスパ福岡との試合で貴重なゴールを決め、市原のJ1残留に貢献した。 1999年、再びリオ州2部のCFZ・ド・リオにレンタル移籍し、2月〜9月の間で5試合に出場するも無得点に終わり、秋に鹿島に復帰。ナビスコカップ準決勝第1戦と第2戦、長谷川祥之とのツートップで、スタメン出場を果たす。柏レイソルとの決勝戦、途中出場で初の決勝の舞台に立ち、PK戦では2番目のキッカーを務めるも失敗、優勝を逃した。 2000年、川崎フロンターレにレンタル移籍。リーグ戦11試合に起用されていたものの無得点、クラブも勝てなかった。そんな中行われたミーティングで松本育夫社長が選手に意見を求めた際、鈴木はチーム内に溜まっていた不満を代弁したが、それ以降出場機会がなくなった。結局シーズン途中鹿島に復帰し、リーグ5試合で2得点、ナビスコ杯5試合で3得点、天皇杯5試合で2得点。復帰後の15試合で7得点を挙げ、一気にレギュラーに定着、鹿島の「三冠」に貢献した。ナビスコカップではその活躍により、ニューヒーロー賞に選ばれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木隆行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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