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銀座ミツバチプロジェクト(ぎんざミツバチプロジェクト)は、東京都中央区銀座でミツバチを養蜂するプロジェクトであるとともに、同プロジェクトを運営する特定非営利活動法人(NPO法人)の名称である。通称「銀ぱち」。 == 概要 == 藤原養蜂場の藤原氏が紙パルプ会館で銀座の屋上で養蜂をしたいという趣旨の講演した際、講演を聞いていた当時紙パルプ会館常務の田中淳夫がうちの屋上は使えないかと提案。 藤原氏の技術指導の下2006年3月28日(ミツバチの日)に、東京都中央区銀座3丁目の紙パルプ会館屋上45mにて、セイヨウミツバチの養蜂を開始。ミツバチの飛行範囲は巣箱から半径約2kmとされ、銀座周辺では皇居、浜離宮、日比谷公園等がこの範囲に入り、また、街路樹等も蜜源となる〔文祥堂フォーラム 第277回 ミツバチの目線でみた銀座の世界 〕。 ハチミツの収穫量は、 * 2006年(1年目) - 150kg * 2007年(2年目) - 260kg * 2008年(3年目) - 430kg * 2009年(4年目) - 800kg にのぼる。2008年からは、セイヨウミツバチに加えてニホンミツバチも飼育されている〔これまでの歩み|ファームエイド銀座 〕。 採取されたハチミツは、銀座の一流店でスイーツやカクテルに使用されたり、石鹸に加工されて販売されている。これらの商品は、「銀座に来なければ買えない」ことを商品化の条件としているため、地域の活性化につながっている。 プロジェクトの世話人田中淳夫は「ミツバチによって自然と共生できる銀座の街に出合ったのです。自然を排除しない。自然と共生できる。素晴らしいものに出合った!自然を受けとめる。それによって街はもっとうるおいを持つ。生活は豊かになる。採れた蜂蜜を銀座の“技”で商品にする」と述べている。ミツバチは環境指標生物。ミツバチの住める都市は安全な都市といえる。ハチ、イコール“安全”のシンボルとなる〔船瀬俊介 『悪魔の新・農薬「ネオニコチノイド」 ミツバチが消えた「沈黙の夏」』 第十一章「銀座の空にミツバチが翔ぶ! - 新しい都市の姿」 三五館 2008年〕。 2010年3月8日には、農業生産法人銀座ミツバチが設立され、銀座2丁目マロニエゲートビルに第2養蜂場が設けられた〔。 2015年7月24日には、首相公邸で安部昭恵首相夫人が養蜂を初め、その指導に当たっている。〔〕 2015年9月14日に、首相公邸産のニホンミツバチの蜂蜜が銀座ミツバチプロジェクト指導のもと、2kg採蜜された〔昭恵夫人、首相公邸で蜂蜜採取。巣箱から約2キロ 〕 銀座の街おこしの成功例であることから、東京都内の中延〔、自由が丘〔自由が丘の真ん中で「ミツバチプロジェクト」-自由が丘森林化計画の一環で 自由が丘経済新聞、2009年4月10日〕、多摩センター〔、日本橋、江古田、池袋はもちろん、北海道、盛岡市〔はちみつ特産販売へ 盛岡でミツバチプロジェクト 岩手日報、2010年4月14日〕、仙台市、横浜市〔森ビルが歴史建物「北仲BRICK」屋上でミツバチプロジェクト ヨコハマ経済新聞、2009年3月17日〕、大分市〔新聞社で養蜂!?-ミツバチプロジェクト 大分合同新聞、2009年4月30日〕等、日本全国で様々なミツバチプロジェクトが派生している。 銀座ミツバチプロジェクト自体は現在、銀座の屋上に13箇所1000m^2を超える緑化を行い、ミントを作って街のバーと連携したり、楮と三椏から銀座産の和紙を作ったりして街の環境を改善している。 また中央区の幼稚園や小中学校へ出前授業を行い子供たちの環境教育をしたり、福島の被災地支援などを行い活動を広げている。活動視察もHPから有料にて受け付けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銀座ミツバチプロジェクト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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