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銀次・政二(ぎんじ・せいじ)はかつて吉本興業に所属していた漫才コンビ。 == 来歴 == * 1982年4月4日、個々にNSC1期生に入学する。入学当時、政二はピン芸人志望でNSCに入学し、当初はモノマネを得意としていた。 * 1982年夏頃、当時フジテレビの大人気お昼の帯生放送番組「笑ってる場合ですよ!」のアマチュア・新人タレントのお笑い勝ち抜けコーナー「お笑い君こそスターだ!」にNSC1期生達に出場依頼が来た際に、同期生でもあった銀次からピン芸人として活躍していた政二にコンビ結成の誘いがあり「銀次・政二」を結成し、コンビ結成間もないにも関わらず5週勝ち抜きグランドチャンピオンとなる。 * 1983年4月21日、大阪・梅田の阪急ファイブ・オレンジルームでNSC1期生のダウンタウン、ハイヒール、銀次・政二の若手漫才師3組で「ごんたくれ」というお笑いライブを開催(全3回)。同年6月21日、うめだ花月下席の「フレッシュコーナー」(松みのる・杉ゆたかと出演)で初舞台を踏み、劇場デビューをする。この頃には本格ツッパリ漫才を売りにして売れっ子新人漫才師としてテレビ・ラジオで活躍、「第13回NHK上方漫才コンテスト」・「第5回ABC漫才・落語新人コンクール」(現:ABCお笑いグランプリ)などの新人賞レースの本選に残る程の実力を発揮していた。 * 1984年某日、うめだ花月で漫才をしている際に、前席の態度の悪い客数人が舞台に足を乗せていた事に腹を立てた銀次が乱闘し〔『ごぶごぶ』DVD第1弾スタッフコメンタリーでの前田政二本人による発言。 / 2012年8月8日発売「ノーブランド」前田政二〕、その数ヵ月後には、とある学園祭に呼ばれた際に、学生達にサインを書いた翌日に銀次がその時書いたサインを持って政二の家に押しかけた。銀次のサインが左、前田のが右に書かれていたが、それを指差して「俺のサイン(を書く位置)は右じゃ!」と怒鳴りつけられ、政二はコンビ解散を決意したという。〔2010年10月13日放送回『イチハチ』(TBS系)の企画「超人気芸人8組が浜田の前で相方への不満を全部ぶっちゃけちゃうぞSP」でサインの話題になった際に浜田が発言。/2012年8月8日発売「ノーブランド」前田政二〕 * 1984年11月10日の京都花月上席の「ショートショート」(やすえ・やすよと共に出演)の新人コーナーを最後に解散する。コンビ解散後は、政二は「前田政二」、銀次は「菅野銀次」と改名し吉本新喜劇にも出演。その後前田はピンでの活動や放送作家として現在も活動している。銀次は吉本新喜劇に出演した頃に「太平サブロー・シロー」に弟子入りし「タイヘイ銀次」と活動していたが数年後に吉本を退社する。2000年にはコンビ「銀秀」で松竹芸能で活動していたが解散し芸能界を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銀次・政二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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