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銅鑼郷[どうらきょう]
銅鑼郷(どうらきょう)は台湾苗栗県の郷。 ==地理==
==歴史== 銅鑼郷の開発が始まったのは清代清乾隆年間である。広東より藍之貴が率いる30余戸がこの地に入植し、竹仔林(現在の竹森村一帯)に集落を形成した。1745年、彰化の王桂麟が藍之貴の成功を妬み、匪賊の首領であり匪窩と化していると虚偽の報告を行い、官軍による討伐が行われた。この結果多くの住民が逃亡し、最後に3戸が残ったことから「三座」との別名が生じた。 1747年、広東鎮平から呉士貴、呉栄芳が入植し、藍之貴の業績を継承し多くの移民を,芎蕉湾(現在の朝陽村)から南に向かって入植させ、田洋(現在の銅鑼駅付近)、樟樹林の地を開発、その地に居住していた原住民は鶏隆深山へと駆逐した。同年広東の陳国興と曽朝速、巫朝剛、曽俊珀、曽東興が「五大股」を組織し、牛角坑、早坑、山水坑、長潭坑(現在の九湖村)を開発した。この他乾隆年間には広東より、呉潮光は率いる呉、彭姓の人々によって老鶏籠及び新鶏籠庄(現在の興隆、新隆村)などが建設された。その後も清代を通じて開発が進み、台湾への渡航禁止が解除されると開発が一層進み現在の村落が構成されるに至った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銅鑼郷」の詳細全文を読む
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