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銭 大昕(せん たいきん、1728年‐1804年)は、中国の清代中期の考証学者。字は暁徴あるいは辛眉、号は竹汀である。 == 略伝 == 江蘇省嘉定県の出身。蘇州の紫陽学院に学び、1751年の乾隆帝南巡にあたり、召試によって挙人を賜り、内閣中書に任用される。1754年に進士となり、翰林院の官を歴任して事府小事まで出世する。その間、郷試の主考官、会試の同考官をたびたび務めた。1775年、広東学政の任にあたるが、父の喪にあって帰郷したまま引退し、没するまでの30年間、鍾山・婁東の書院と紫陽書院に継続して院長を務め、後進を育成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銭大キン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Qian Daxin 」があります。 スポンサード リンク
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