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銭謙益[せん けんえき]
銭 謙益(せん けんえき、Qián Qiānyì;1582年10月22日(万暦10年9月26日) - 1664年(康熙3年))は中国の明末清初の文人。江蘇省常熟県の人。字は受之、号は牧斉、また漁樵子とも。 == 経歴 == 明朝万暦38年(1610年)の進士。初め翰林院編修に任じられ、天啓元年(1621年)には浙江郷試正考官に任じられたが、東林党の人名録にその名のあることが露見し失脚する。のち、明朝最末期の崇禎年間(1628年 - 1644年)に中央に復帰して礼部尚書を拝命するも、清の順治2年(1645年)、清軍が江南を平定するに及んで降臣として清朝に仕えるに至り、翌年、礼部右侍郎兼秘書院学士に任じられた。順治5年(1648年)には謀反の疑い有りとして一時期収監されるが、のち釈放され家居すること10年、康熙帝の即位後間もなく卒した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銭謙益」の詳細全文を読む
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