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鍋島茂明[なべしま しげあきら]
鍋島 茂明(なべしま しげあきら、元文5年10月20日(1740年12月8日) - 明和8年1月12日(1771年2月26日))は、江戸時代中期の第26代佐賀藩自治領武雄領主。文献の中では鍋島能登の名で呼ばれることが多い。墓は佐賀県武雄市の円応寺にある。 == 生涯 == 元文5年(1740年)、第25代の武雄領主鍋島茂昭の子として生まれる。幼名は直太郎。宝暦5年(1755年)10月、家督を相続。宝暦10年(1760年)9月、第6代佐賀藩主鍋島宗教の参勤交代に従い江戸に行く。後に請役所勝手方心遣(請役及び勝手方の相談役)に就任し、明和7年(1770年)に第7代佐賀藩主鍋島重茂の死を受けて鍋島治茂が第8代佐賀藩主となった後も、引き続き請役所勝手方心遣に任命されている。 明くる明和8年(1771年)1月に死去、同年3月、嫡子鍋島茂順が家督を相続した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鍋島茂明」の詳細全文を読む
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