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鎌原 重春(かんばら しげはる)は、安土桃山時代の武将。真田氏の家臣。真田氏の一族で真田信之・真田信繁とは義兄弟に当たる。 == 生涯 == 真田幸隆(幸綱)の弟・鎌原幸定の曾孫に当たる。 天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで父が戦死したため、家督を継いだ〔。天正10年(1582年)3月の武田征伐で武田氏が滅亡すると、宗家の真田家に仕えた〔。真田昌幸の一族衆として吾妻郡経営に協力し、昌幸は娘(一説に養女)を嫁がせている〔〔 柴辻俊六 著『人物叢書‐真田昌幸』吉川弘文館、1996年、p.81〕。 天正18年(1590年)、小田原征伐の際には昌幸に従い、後北条氏の家臣・大道寺政繁が守備する上野松井田城攻めで戦死した。家督は子の重宗が継いだ。 重春の夫人は元和5年8月1日(1619年9月8日)に死去している〔。 子孫は真田氏の重臣となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鎌原重春」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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