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鎌津田甚六 : ウィキペディア日本語版
鎌津田甚六[かまつだ じんろく]
鎌津田 甚六(かまつだ じんろく、生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての鉱山師・治水家である。慶長年間に南部藩の大事業であった鹿妻穴堰の開削を成功させたことで知られる。
== 経歴 ==
甚六は陸奥釜津田村(岩手県岩泉町)出身の金山師と云われるが、陸奥飯岡村(同県盛岡市)や大迫町、さらには近江国佐渡国という説もありはっきりしない。
慶長4年、盛岡城の築城に際し、甚六は南部藩主の南部信直から鹿妻、太田地域の荒地を水田に変えるための鹿妻穴堰の開削を命じられた。しかし当時の雫石川は暴れ川として有名であり取水は困難であったが、甚六は調査の末、雫石川に突き出た剣長根の岩山に穴口を掘ることを決めた。剣長根は珪化を受けた硬い凝灰岩からなり〔岩手県地学教育研究会『岩手の地学 第45号』2015年。盛岡市上太田穴口鹿妻穴堰近傍の金鉱について(蒲田理)40-46p。〕〔蒲田理『盛岡市上太田穴口鹿妻穴堰近傍の金鉱について』2015年。〕、掘削工事は難航したが、鎌津田甚六は鉱山の採掘技術をもって開削したとされる。
また、歓進僧・陸坊が鹿妻穴堰のある穴口付近に鉱脈があると宣伝して歩いたため、甚六はの採鉱と開田を兼ねての穴堰掘削を南部藩に提議したと伝わる〔佐藤実『鎌津田甚六集成』鹿妻穴堰土地改良区。〕。明治2年に盛岡藩が新政府に提出した「御領中諸鉱山取調帳」にも当地付近が金・銀山と記されており、実際に穴口では自然金閃亜鉛鉱黄鉄鉱などを含む金鉱が発見されている〔岩手県地学教育研究会『岩手の地学 第45号』2015年。盛岡市上太田穴口鹿妻穴堰近傍の金鉱について(蒲田理)40-46p。〕〔蒲田理『盛岡市上太田穴口鹿妻穴堰近傍の金鉱について』2015年。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鎌津田甚六」の詳細全文を読む



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