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鎌田光夫 : ウィキペディア日本語版
鎌田光夫[かまた みつお]

鎌田 光夫(かまた みつお、1937年12月16日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー
== 経歴 ==
茨城県立日立第一高等学校を卒業後、1956年に中央大学に入学。サッカー部に所属し、1957年に中大クラブの一員として第37回天皇杯全日本サッカー選手権大会で優勝した。また、翌1958年1月に開催された第6回全国大学サッカー選手権大会で優勝した。同年12月、日本代表に選出され、香港代表で代表として初出場した。
1960年より古河電気工業に所属。1968年のメキシコシティオリンピックにおけるサッカー競技で日本代表として銅メダルを獲得した。1974年に現役を引退した。
1975年に日本ユース代表監督に就任。1976年から1978年まで古河の監督を務め、1977年には日本サッカーリーグ(JSL)1部で優勝を果たした。1981年より当時東海リーグ所属だった大協石油/コスモ石油の監督に就任し、1986年にJSL2部へ昇格。1989年に退任した。
1994年より三重県サッカー協会理事長、2002年より三重県サッカー協会副会長を歴任。現在は三重県サッカー協会の顧問を務めている。
2007年日本サッカー殿堂に選出された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鎌田光夫」の詳細全文を読む



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