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鎌田光政 : ウィキペディア日本語版
鎌田光政[かまた みつまさ]
鎌田 光政(かまた みつまさ、生年不詳 - 元暦2年2月19日1185年3月22日))は、平安時代末期の武将。通称は藤次あるいは三郎〔古田十駕『風譚義経』(文藝春秋、2001年)〕。源義経の父・源義朝乳兄弟である鎌田政清の子(政治の子という説も)。兄は鎌田 盛政(かまた もりまさ)で通称は藤太。名は政光・正親〔とも。
軍記物語源平盛衰記』では兄盛政と共に義経四天王の1人として活躍し、屋島の戦いにて、射落畠で平教経と戦い討死する。盛政は一ノ谷の戦いで討ち死にしている。
義経記』には政清の子として鎌田 正近(かまた まさちか)通称は三郎が登場し、僧となって正門坊(唱門坊〔)と名乗り、牛若丸に出生の秘密を告げる。
なお、鎌田盛政・光政兄弟の存在が書かれているのは『源平盛衰記』のみであり、『平家物語』や史料である『吾妻鏡』、系図などでは見られない。正近は『義経記』のみに登場する。
碑が香川県高松市牟礼町にある。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鎌田光政」の詳細全文を読む



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