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鎌田柳泓[かまた りゅうおう] 鎌田 柳泓(かまた りゅうおう、宝暦4年1月1日(1754年1月23日) - 文政4年3月11日(1821年4月13日))は医師、石門心学の心学者である。ヨーロッパでの進化論とは独立して、進化論を著書に残したとして紹介されることが多い。著書に『理学秘訣』(1816年)などがある。 鎌田一窓の養子で、本姓は久保。名は鵬、字は図南、通称は玄珠、別号に曲肱庵。紀伊国湯浅(現和歌山県有田郡湯浅町)出身。富岡以直に師事した〔鎌田柳泓 - kotobank 〕。 == 柳泓の進化論 == 遺著『心学奥の桟』(1816年稿、1822年刊)に「一種の草木変じて千草万木となり一種の禽獣虫魚変じて千万種の禽獣虫魚となるの説」が植物、動物の単一起源説を述べている。さらに人間についてもはじめは禽獣であったものが「展転変化」して人になったに違いないと明言している。これはダーウィンの『種の起源』(1859年)よりも早く出版され、ラマルクの『動物哲学』(1809年)よりも総括的であったと評価される。 柳泓はマツなどの樹木の種が土地によって少しずつ違いのあることや、当時流行したアサガオが品種改良されて、多くの品種が作られたことや、外国産の犬と和犬の交雑によって新しい品種が生まれたことからこの説に至ったとされる〔大田邦昌『ダーウィンより早かった進化論』(「地球日本史」西尾幹二(編集)1998年、第2巻〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鎌田柳泓」の詳細全文を読む
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