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鏑木梅渓[かぶらぎ ばいけい] 鏑木 梅溪(かぶらぎ ばいけい、寛延2年(1749年) - 享和3年閏1月3日(1803年2月24日))は江戸時代中期から後期の長崎派の画家。 名は世胤・世融、字は君冑。通称は弥十郎。長崎の生まれ。本姓が平氏であることから平世胤とも名乗った。 == 略歴 == 肥前国長崎に生まれる。唐絵目利の荒木元融に師事し、沈南蘋の画風を学ぶ〔『古画備考』・『扶桑画人伝』〕。細密な彩色花鳥画を得意〔『近世逸人画史』・『雲室随筆』〕とした。大村藩の御用絵師となり江戸に移住。芝浜松町に住み、市河寛斎の次男・祥胤(鏑木雲潭)を養子に迎える。噂を聞いた門人が雲集し江戸に長崎派の画法を広く伝えた。 享年55〔『当時現在廣益諸家人名録』〕。芝三田長雲寺(港区三田4-1-9)に墓所〔『東京美術家墓所考』〕がある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鏑木梅渓」の詳細全文を読む
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