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鏡味徳房 : ウィキペディア日本語版
鏡味徳房[かがみ のりふさ]

鏡味 徳房(かがみ のりふさ、1942年5月18日 - )は、日本の銀行家、元大蔵官僚東日本銀行会長。
== 来歴・人物 ==
東京都出身。港区立青山中学校都立日比谷高校東京大学法学部卒。1965年旧大蔵省入省〔『大蔵省不信の構図』(栗林良光講談社、1992年12月)P87~P88〕。同期には薄井信明竹島一彦榊原英資、大塚功(駐ジャマイカ大使)、平岡哲也(会計検査院事務総局次長)、白石忍(オリックス社長)など〔『大蔵官僚』(神一行、講談社、1982年10月第三版) 巻末各年次入省者〕〔『日本官僚制総合事典 1868-2000』(東京大学出版会秦郁彦、2001年) 巻末各省各年次入省者などを参照。
〕。
主計局総務課に配属され、北見税務署長を経て、三年あまりジェトロ在フランクフルト産業調査員に、当時の事務員は鏡味一人だけだった。帰国後、国際金融局投資一課補佐、銀行局銀行課補佐などを経て、1980年6月に銀行局総務課企画官兼銀行局総務課。米里恕銀行局長、土田正顕総務課長の下、坂本導聡らと共におよそ50年ぶりに新銀行法改正案を成立させた〔〔『大蔵官僚』(神一行)P75~P76〕。
大臣官房参事官、銀行局保険部保険第二課長、中小金融課長、銀行課長を経て、1990年に銀行局総務課長。その後、1990年6月に東京税関長を経て、1991年6月に銀行局保険部長に。保険部長在任中は、生保損保業界間の垣根の撤廃、銀行・証券業界との相互参入、金融自由化などの論議がたけなわの折、蔵相の諮問機関である保険審議会の答申を受けて、1992年におよそ五十年ぶりの保険業法改正の端緒にあった〔。東京国税局長を経て、1994年から1995年まで関税局長を務めた。
大蔵省退官後は輸銀理事を務めたり、1999年に東日本銀行に顧問として入り、副頭取を経て2001年から2011年3月まで頭取を務め、現在は会長〔 東日本銀行プレスリリース 2011年2月25日付〕〔 東日本銀行〕。また第二地方銀行協会会長も務めた。
その一方では関東テニス協会会長及び日本テニス協会副会長を務めている〔役員名簿 日本テニス協会〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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