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長久保城(ながくぼじょう)は、静岡県駿東郡長泉町下長窪にあった日本の城。 == 概要 == 築城時期や築城者は不明であるが、大友親頼の三男親政が、永享11年、足利持氏の滅亡により、今川氏に仕え駿河国駿東郡長久保を領していたため一説には長久保氏の築城とも言われる。 戦国時代、今川氏、北条氏、武田氏との間で争奪戦が繰り広げられた。 天正10年(1582年)、武田氏滅亡後は徳川家康の持城となった。関東に家康が移封されると中村一氏の持城となったが、慶長5年(1600年)に移封され長久保城は廃城となった。 現在は城山の削土や土地改良、道路建設で本丸跡は消滅し、城山神社境内の土塁と、北小学校の周辺に三の丸の遺構が残るのみになっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長久保城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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