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長井利安[ながい としやす]
長井 利安 / 斎藤 利安(ながい としやす / さいとう としやす、文明5年(1473年)? - 享禄3年1月13日(1530年2月10日)?〔『美濃国稲葉郡志』所収「齋藤系図」〕)は戦国時代の武将。父は斎藤利永〔『美濃国諸旧記』〕〔『古代氏族系譜集成』斎藤系図では、利安は斎藤利藤の子かつ妙純、利安、利綱の兄弟とされるが、利藤は妙純の兄であり親子関係は誤伝であると考えられる。〕。通称は帯刀左衛門尉、左金五〔。子に利隆〔、利賢〔『古代氏族系譜集成』斎藤系図〕〔『美濃明細記』(斎藤系の項)〕、利直〔。孫に斎藤利三。 == 生涯 == 延徳2年(1490年)、白樫城を築き、初めここに居住。 土岐成頼の後継をめぐる家督争いでは、明応4年(1495年)7月、妙純から土岐元頼方の古田氏討伐を命じられ、利綱とともに出陣した(船田合戦)。 明応7年(1498年)に斎藤妙純・利親父子が戦死すると、まだ幼い利親の子・利良の後見のため稲葉山城山麓に移る。 永正年間(1504年から1520年にあたる)、長井長弘とともに長良天神神社(岐阜市)の社殿を修復〔長良天神神社御由緒〕。
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