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長井利隆[ながいとしたか]
長井 利隆 / 斎藤 利隆(ながいとしたか/さいとう としたか、生没年不明)は、戦国時代の武将。父は斎藤利安〔『美濃国諸旧記』〕、又は、斎藤妙純〔『古代氏族系譜集成』の斎藤氏系図〕。法名は清康宗所〔『美濃明細記』〕。娘に氏家直元の母(氏家行隆室)。子は長井長弘〔〔。 == 経歴 == 初め竹ヶ鼻城主(文明10<1478>年頃~明応5<1496>年)だったが、万里集九の漢詩文集『梅花無尽蔵』によると、守護代・斎藤利親が戦死したことにより、その跡を継いだ利親の子・利良が幼少のため、長井藤左衛門尉長弘とともに補佐した。『美濃明細記』によると、土岐政房・土岐政頼・土岐頼芸の執権であったという。明応6年(1497年)、利良後見のため、竹ヶ鼻城から加納城に移ったといわれる。永正13年(1516年)2月、京都妙覚寺の日善上人の法弟であった弟ともいわれる日護房(南陽房)を美濃に招き、美濃国厚見郡今泉の常在寺の住職とした。土岐政房の後継を巡る家督争いでは土岐頼芸方に付いた。その後、頼芸が川手城から大桑城に拠点を移したことにともない、川手城に城代として置かれた〔。永正12年(1515年)に死去。享年71〔または天正2年(1530年)に死去〔『岐阜市史』〕。墓所は汾陽寺〔。
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