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長崎奉行[ながさきぶぎょう]
長崎奉行(ながさきぶぎょう)は江戸幕府の遠国奉行の一つ。 ==概略== 戦国時代大村氏の所領であった長崎は、天正8年(1580年)以来イエズス会に寄進されていたが、九州を平定した豊臣秀吉は天正16年(1588年)4月2日に長崎を直轄地とし、ついで鍋島直茂(肥前佐賀城主)を代官とした。文禄元年(1592年)には奉行として寺沢広高(肥前唐津城主)が任命された。これが長崎奉行の前身である。 秀吉死後、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は豊臣氏の蔵入地を収公し、長崎行政は江戸幕府に移管された。初期は竹中重義など徳川秀忠側近の大名が任ぜられたが、やがて小禄の旗本が、のちには1000 - 2000石程度の上級旗本が任ぜられるようになった。長崎奉行職は幕末まで常置された。幕府直轄地であり、警護は福岡藩と佐賀藩が交互に務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長崎奉行」の詳細全文を読む
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