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長崎県議会(ながさきけんぎかい、Nagasaki Prefectural Assembly)は長崎県の議決機関として設置されている地方議会である。 == 沿革 == === 明治 === *1878年(明治11年) - 太政官が「府県会規則」を布告。 *1879年(明治12年) *1月31日 - 現在の佐賀県域を含めた最初の県会議員選挙が行われる。新議員62名が誕生。 *議員の資格は25歳以上の男子で、その郡区内に本籍を置くもので、地租10円以上を納める者であった。任期は4年で、2年ごとに半数改選とし、名誉職であった。 *定数は1区20郡の選挙区から62名(現在の区分で言う長崎県から36名、佐賀県から26名)〔当時の長崎県は佐賀県も含んでいたため。〕が選出された。 *3月17日 - 第1回臨時長崎県会(現在の長崎県議会)が長崎市桶屋町の光永寺において開会。 *議長には小城郡(現在の佐賀県)代表の松田正久が就任。 *この時の臨時会では議事細則案が審議された。 *当時の県庁舎には議事堂がなかったため、光英寺を月85円で借用した。 *3月20日 - 臨時会が散会。 *3月22日 - 第1回通常県会が開会。 *松田正久が正式に議長に選出、副議長には佐賀郡の江口六蔵が就任、その他委員などの人事をほとんど佐賀組に占められる。 *1881年(明治14年)10月 - 県会議事院 兼 交親館(外賓接待所)が長崎市立山町の諏訪公園内〔現在の長崎県立長崎図書館付近〕に開設され、光永寺より議場が移転。〔火災その他で、1953年(昭和28年)新議場完成まで複数回議場変更があった。〕 *1883年(明治16年) *5月9日 - 佐賀県が長崎県から分離独立し、長崎県は1区10郡となる。 *1区 - 長崎区(長崎市) *10郡 - 東彼杵郡、西彼杵郡、南高来郡、北高来郡、南松浦郡、北松浦郡、壱岐郡、石田郡、上県郡、下県郡 *7月 - 佐賀県の独立に伴い、議員定数が34人となる。 *1890年(明治23年)5月 - 府県制・郡制が公布されるも、多くの離島をかかえる特殊性から施行が遅れた。 *1897年(明治30年) *4月 - 郡制が実施。 *9月 - 府県制が実施。 *1899年(明治32年)- 府県制・郡制の全面改正により、議員定数が33名となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長崎県議会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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