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長崎豪雨 : ウィキペディア日本語版
長崎大水害[ながさきだいすいがい]
長崎大水害(ながさきだいすいがい)は、1982年昭和57年)7月23日から翌24日未明にかけて、長崎県長崎市を中心とした地域に発生した集中豪雨、およびその影響による災害である。
気象庁は長崎県を中心にした7月23日から25日の大雨を「昭和57年7月豪雨」(しょうわ57ねん7がつごうう)、長崎県は「7.23長崎大水害」(7.23ながさきだいすいがい)と命名したが、本項では降雨・災害双方を区別しない通称の「長崎大水害」を項目名とした。
以下の記述では、市町村合併によりすでに消滅している自治体もあるが、原則として豪雨発生当時の自治体名で示す。
長崎市の北に位置する西彼杵郡長与町では23日午後8時までの1時間に187mmの雨量を観測。これは日本における時間雨量の歴代最高記録となっている。また西彼杵郡外海町では23日午後8時までの2時間に286mmの雨量を観測し、こちらも歴代最高記録となっている。
梅雨末期で大雨が続いており連日警報が出されていたことによって危機感が麻痺していたとの指摘もあり、記録的短時間大雨情報の創設につながった。
== 降雨 ==
; 昭和57年7月豪雨
1982年昭和57年)は梅雨入りが遅く、九州北部では平年より8日程度遅い6月13日だった。7月上旬まで少雨の傾向が続き、節水を呼びかける自治体もあったほどであった。しかし、梅雨末期に入り、大雨が集中する。7月10日から20日にかけ、西日本各地で日降水量が100mmを超える大雨が相次いだ。例えば16日広島市で223mm、20日は長崎市で243mmの日降水量を記録する大雨となり、10日から20日にかけての積算降水量が1,000mmを超えた観測点もあった。地盤の緩みによる土砂災害が発生しやすい状況だった。
21日以降、前線の活動は小康状態となり、数時間青空も覗き、そこから日差しが差すほどであったが、23日から25日にかけ、低気圧が相次いで西日本を通過し、梅雨前線の活動が活発化した。
23日は低気圧の通過に伴い、梅雨前線が九州北部付近まで北上した。15時までの1時間に対馬厳原町で64mm、同5時までの1時間に平戸市で75.5mmなど、当初は長崎県北部地方を中心に雨脚が強かったが、強い雨の範囲は次第に南下、19時頃から翌24日未明にかけ、湿舌現象の発生により、長崎県南部を中心とした集中豪雨は想像を絶した。
長崎市中心部の長崎海洋気象台では、23日20時までの1時間に111.5mm、同21時までに102mm、同22時までに99.5mmと、3時間連続で100mm前後の猛烈な雨となり、3時間雨量は313mmに達した(6月の月間平均雨量に匹敵)。また、東長崎地区に設置された雨量計では同時間帯に366mmを記録した(日本の3時間雨量歴代3位に匹敵)。
時間雨量では長与町役場に設置された雨量計で23日20時までの1時間に187mmと、1時間降水量の日本記録となる値を観測。長浦岳の雨量計(アメダス)では19時までの1時間に153mm、同8時までに118mmの雨量を観測した。また、外海町役場に設置された雨量計で23日20時までの2時間に286mmと、2時間降水量の日本記録を記録している。降り始めからの24時間雨量は長崎海洋気象台で527mmを観測した。
翌24日は、梅雨前線が南下、島原半島熊本県を中心に大雨となり、熊本市で日降水量394.5mmを観測。25日は九州南部や紀伊半島南部で100mmを超える大雨となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「長崎大水害」の詳細全文を読む



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