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長沖 一(ながおき まこと、1904年1月30日 - 1976年8月5日)は、日本の漫才作家、演出家、放送作家。 大阪府島之内出身。御津小学校、天王寺中学校、旧制大阪高校を経て、東京帝国大学文学部美術史学科卒。 実子は、元NHK大阪放送局所属の演出家・長沖渉。祖父は、加賀藩士(明治維新後に大阪に出てきて商売を始める)。 == 略歴 == 大阪高校在学中に左翼運動を始める一方、1925年に武田麟太郎、秋田實、藤沢桓夫と共に文学同人誌『辻馬車』を創刊。大学在学中に新人会に参加。 1929年3月、東大を卒業。 1930年、徴兵検査で歩兵第一連隊に入隊。甲種幹部候補生で10ヶ月ほど過ごし除隊後、作家に復帰。『中央公論』に「肉体交響楽」を寄稿するも軍批判とみなされ発表を見送られる。その後も左翼運動を続ける。 1935年より吉本興業部のPR誌〔現在の『マンスリーよしもと』の前身。〕『ヨシモト』の編集者に迎えられ吉本興業部の文藝部に入る。 1937年、文藝部長に就任し漫才、軽演劇の台本を多く手がける。 1938年、慰問団「わらわし隊」を組織し多くの芸人を戦地に送り出す。 1941年、再度、徴兵検査で朝鮮龍山の部隊、1944年には和歌山の部隊に入る。 1947年、吉本を退社。旧友の藤澤桓夫と『文学雑誌』を刊行したり、小説集の『大阪の女』を出版。 その後は帝塚山学院大学の教授、帝塚山学院短期大学の学長などをしながら、1952年には花菱アチャコと浪花千栄子の『アチャコ青春手帖』、1954年からは『お父さんはお人好し』等の台本を手がける。『お父さんお人好し』は映画化もされた。 大学の講師時代には井原西鶴に傾倒し、研究に没頭した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長沖一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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