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長沢 千和子(ながさわ ちかこ、1964年6月18日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。松田茂役九段門下。女流棋士番号は5。長野県松本市出身。 == 棋歴 == 将棋の駒の動かし方を覚えたのは、小学校4年の頃〔平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)〕。将棋道場を経営していた父は、歌を覚えるのが早いという千和子の記憶力に着目し、将棋が強くなるのではないかと思ったという〔別冊宝島380「将棋王手飛車読本」〕。 千和子が中学1年のとき、父が「中部六県名人戦」で優勝し、その大会で審判を務めたプロ棋士の松田茂役(後に千和子の師匠)が父を訪ねてくる。その際、松田が千和子を相手に将棋を指し、「才能があるのではないか」と言う。これが将棋を本格的に始めたきっかけである〔〔女流棋士会 〕。 1979年8月、松田茂役門下として、女流2級でプロ入り。 1983年度、第6期女流王将戦で林葉直子女流王将への挑戦権を得、タイトル戦初登場。三番勝負は0勝2敗で敗退〔林葉の女流王将10連覇の中の3期目。〕。 1984年度、第11期女流名人位戦でも林葉に挑戦。五番勝負は1勝の後の3連敗で敗退。 20代前半の頃、女流王将戦で挑戦権争いをしていたとき、山下カズ子との対局の勝勢の局面で、4段目で歩を成るという反則負けをし、以降、スランプに陥る。将棋の道から退くことさえ考えたが数ヵ月後に立ち直り、以降、従来の「才能で指す」というスタイルを改め、棋譜並べ(過去の実戦の研究)や詰将棋などに打ち込むようになる〔。その努力が1995年度、レディースオープントーナメントで開花。決勝で当時三冠の清水市代を破り、棋戦初優勝をする。 2000年、蛸島彰子、山下カズ子、中井広恵、清水市代に次ぐ、史上5人目の女流四段に昇段。 2008年7月2日、女流名人位戦B級の対伊奈川愛菓戦で勝ち、通算300勝達成。 2012年4月1日、前日に森安多恵子が引退したことにより、日本将棋連盟所属の現役女流棋士で最年長となる。(LPSAでは、17歳年長の蛸島彰子が最年長) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長沢千和子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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