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長沼 藤治兵衛(生年不詳 - 1582年(天正10年))は、長沼三徳の嫡男。弟に彩雲。 ==生涯== 父は加治田城家老の長沼三徳。堂洞合戦では、陣頭の佐藤忠能、忠康に続き、加治田方面から攻め上がった。 加治田・兼山合戦においては、川浦川防衛線の将として前線を守備した。しかし、兼山の森長可勢に防衛線を突破され、両軍激戦を繰り広げたが、加治田方の旗色は悪くなり混乱に陥った。藤治兵衛は具足羽織を著し、黒の駒に打ち乗って戦って森勢を防いだが、敵の放った銃丸に胸板を打ち抜かれ落馬。走り寄った郎党に抱えられて加治田城の三徳櫓の中にかつぎ込まれるも、落命した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長沼藤治兵衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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