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長田博[ながた ひろし]
長田 博(ながた ひろし、1927年(昭和2年)9月6日 - 2013年(平成25年)12月1日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。第19代自衛艦隊司令官を経て第16代海上幕僚長を務めた。海軍兵学校出身最後の海上幕僚長(海兵76期)。 == 概略 == 第二次世界大戦終戦後は海軍兵学校を第2学年扱いで修了となり、第一水産講習所に入学。卒業後日魯漁業に入社し、トロール船に乗組む。1953年8月海軍ができると聞き、保安庁警備隊に三等警備士で入隊する。職種は砲術、ターター導入に備えて第1回米留、帰国後は「あまつかぜ」砲術長。念願の艦長は「きたかみ」の1回のみで以後防衛畑を歩む。4次防、53中業を手掛け、海上幕僚監部防衛部長として56中業をまとめる〔海上自衛新聞・1985年(昭和60年)9月8日(日)第3面「海上幕僚長・長田博に聞く」〕。退官に際して、「海軍兵学校出身の最後の海幕長」として朝日新聞「この人」欄に取り上げられた。「新・八八艦隊」などと俗称される「八艦八機」体制の生みの親であり、艦船総合情報誌「世界の艦船」に高い頻度で執筆・寄稿していることでも知られる。 なお、自衛艦隊司令官は横須賀地方総監と同等の政令指定職5号ポストであり海幕長への登竜門となっているが、自衛艦隊司令官から海幕長への昇格は長田を最後に23年間、杉本正彦が就任するまで途絶えることとなる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長田博」の詳細全文を読む
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