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長田幹彦 : ウィキペディア日本語版
長田幹彦[ながた みきひこ]

長田 幹彦(ながた みきひこ、1887年3月1日 - 1964年5月6日)は、日本の小説家、作詞家。
== 人物 ==

* 東京生まれで、劇作家の長田秀雄の弟。1904年(明治37年)3月に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。早稲田大学英文科卒業。兄の影響で『明星』や『スバル』に参加。早稲田大学在学中に北海道に渡り、炭鉱夫や鉄道工夫、或いは旅役者の一座に身を投ずるなどして各所を放浪、その時の体験をもとにした「澪」で高い評価を受けた。
* 当時新進の谷崎潤一郎とともに耽美的作風を併称され、幹彦潤一郎と呼ばれた。1912年夏、谷崎が京都に遊んだ際には連れ立って遊興したが、次第に関係が悪化し、以後、両者の交遊は疎になる。
* 1913年(大正2年)の『祇園情話』などの「祇園もの」でも人気を博し、花柳の巷を舞台として吉井勇と併称されたが、1916年(大正5年)、赤木桁平から「遊蕩文学」として攻撃され、以後も多量の作品を書いたが、次第に文壇の最前線からは遠ざかった。昭和に入るとビクター専属の作詞家となり、「祇園小唄」「島の娘」などを作詞。また全集も出た。
* 戦後は心霊学に関心を持ち、「超心理現象研究会」を主宰していた。また、阿部定と組み「昭和一代女」という阿部定事件を演じる劇団を旗揚げしたこともある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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