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長綱連 : ウィキペディア日本語版
長綱連[ちょう つなつら]

長 綱連(ちょう つなつら)は、戦国時代から安土桃山時代武将能登畠山氏の家臣。
== 生涯 ==
畠山氏の重臣である長続連の嫡男として生まれる。初め重連(しげつら)と名乗ったが、後に畠山義綱より偏諱を与えられて綱連に改名した。父・続連より家督を継承したのは義綱追放後の永禄10年(1567年)から元亀2年(1571年)の間とされている。元亀元年(1570年)に畠山義慶(義綱の子)政権で一新された年寄衆に温井景隆平堯知遊佐盛光三宅長盛長光連らと共に列した。天正2年(1574年)に義慶が死去するとそのまま義隆に仕え、父と共に能登畠山家の筆頭重臣として活躍する。天正4年(1576年)に義隆もに死去すると、その跡を継いだ春王丸の後見人となる。春王丸は幼少だったため、父と共に能登畠山氏の実権を掌握し主導した。
同年冬から越後上杉謙信の侵攻を受けたが、父と共にこれを1度は撃退した。しかし天正5年(1577年)に再び謙信の侵攻を受け、その最中に春王丸も死去して窮地に陥ると、弟の連龍を使者として織田信長に援軍を要請した。しかし援軍が到着する前の9月15日、謙信と通じた遊佐続光温井景隆らの裏切りによって、七尾城内で父や一族と共に殺された。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「長綱連」の詳細全文を読む



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