翻訳と辞書
Words near each other
・ 長船加奈
・ 長船吉兵衛
・ 長船定行
・ 長船景光
・ 長船派
・ 長船流
・ 長船物
・ 長船町
・ 長船町福岡
・ 長船秀光
長船綱直
・ 長船貞親
・ 長船長光
・ 長船駅
・ 長船騏郎
・ 長良
・ 長良 (曖昧さ回避)
・ 長良 (軽巡洋艦)
・ 長良じゅん
・ 長良クラブ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

長船綱直 : ウィキペディア日本語版
長船綱直[おさふね つななお]
長船 綱直(おさふね つななお ? - 慶長4年(1599年)?)は、安土桃山時代武将宇喜多氏の家臣。長船貞親の嫡男。長船定行の兄。紀伊守。ちなみに綱直の諱は良質な史料では確認できない。戸川達安の妻の父である「長船紀伊守」とは年代的に父の越中守貞親のことか。
天正19年(1591年)に父の貞親が暗殺され、居城である虎倉城が全焼するという事件が勃発するが、綱直は外出していたため難を免れている。この事件は姻戚関係があった石原一族が謀ったらしい。
文禄3年(1594年)、伏見城普請において普請奉行を務め、そのときの能力を豊臣秀吉に認められて、岡家利に代わって宇喜多氏領国の国政を担った。内政手腕に優れ、宇喜多秀家の側近で岡山城の改修に功のあった中村次郎兵衛や、直家の時代からの用人浮田太郎左衛門とともに、領内検地などにより主家の財政問題解消に取り組んだ。このため、意見を異にした戸川達安岡越前守と対立したという。キリシタンとなり、宗教面でも日蓮宗徒である達安や越前守と対立することになる。
慶長2年(1597年)あるいは同4年(1599年)に病死し、その直前に戸川氏とは和解したとされているが、一説には達安や越前守に毒殺されたとも言われている。綱直の専制は、慶長5年(1599年)1月の宇喜多氏のお家騒動(宇喜多騒動)の一因となった。
category:戦国武将
category:キリシタン
category:岡山県の歴史



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「長船綱直」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.