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長谷川 アーリアジャスール(はせがわ アーリア ジャスール、1988年10月29日 - )は、埼玉県入間郡鶴ヶ島町(現鶴ヶ島市)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。ペルシア語では。湘南ベルマーレ所属。 == 来歴 == 父がイラン人で母が日本人のハーフ。日本で育ち日本国籍を選択した。小学4年生のときにサッカーを始める〔長谷川アーリアジャスール選手[FC東京] ヒーローインタビュー (2013年01月15日)〕。 中学時には坂戸ディプロマッツへ在籍。1学年上には小池純輝がいた。同3年時に、横浜F・マリノス専門スカウトが練習試合を直接訪れ、当時横浜FMユース監督を務めていた安達亮も獲得を望んだ事から横浜FMユース入団に至った〔 スポーツ報知 (2012年11月10日)〕。ユース時代はボランチの位置でゲームメーカーとしてプレー。ユース同期には斉藤陽介、田代真一、大久保翔、木村勝太、武田英二郎、森谷賢太郎などがいた。当時の憧れはブラジルのカカ。 2007年、斉藤、田代と共に横浜FMトップチームへ昇格〔 横浜F・マリノス (2006年11月4日)〕。早野宏史監督によって3月3日の開幕戦先発メンバーに抜擢されると〔新人の開幕先発出場は同クラブでは松田直樹以来で、クラブ史上4人目である。〕、山瀬功治の決勝点をアシストする活躍を見せた〔 デイリースポーツ (2007年3月4日)〕。続くJ1第2節もフル出場。しかし、同月13日の練習中に右第五中足骨を骨折し〔(長谷川アーリアジャスール) 横浜Mの長谷川、全治4ヵ月 ゲキサカ (2007年3月15日)〕戦線を離脱。FIFA U-20ワールドカップ2007の出場を逃した。その後も負傷に苦しみ以後、同年の出場機会は得られなかった。2008年6月、プロA契約を締結〔 横浜F・マリノス (2009年6月6日)〕。同年J1第33節東京V戦では、後方から飛び出して相手のクリアボールをカットし、そのまま相手ゴールへ猛進。冷静にゴールマウスへ流し込み、プロ初得点を挙げた〔【J1:第33節 横浜FM vs 東京V】レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2008年11月29日)〕。2009年からは、本職のボランチに加えトップ下など攻撃的なポジションでもプレー。相手の守備ブロックの間に入り込み〔俊輔の「代役」長谷川奮闘 日刊スポーツ、2011.06.22〕、シンプルなパスでチャンスを作った〔【J1:第27節 横浜FM vs 仙台】プレビュー Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2011年9月24日)〕。2010年にはFWも務めた〔横浜首位清水撃破へFW長谷川が先発濃厚 日刊スポーツ (2010年8月13日)〕。2011年末、横浜FMから慰留される中、新潟、FC東京からオファーを受け争奪となった〔 スポーツ報知 (2011年12月23日)〕〔横浜Mの長谷川を獲得 東京中日スポーツ (2011年12月31日)〕。 2012年よりFC東京へ完全移籍〔長谷川アーリアジャスール選手 FC東京へ完全移籍のお知らせ 横浜F・マリノス (2012年1月6日)〕〔長谷川アーリアジャスール選手 完全移籍加入決定のお知らせ FC東京 (2012年1月6日)〕。シーズン前のスーパーカップやJ1第2節名古屋戦で早々と得点を挙げたことに加え、持ち前のパスとドリブルを織り交ぜた推進力がチームとかみ合ったことで〔【J1:第14節 横浜FM vs F東京】プレビュー Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2012年6月15日)〕才能を開花させ、ランコ・ポポヴィッチ監督の下でスターティングメンバーに定着。ボランチ、サイドハーフ、トップ下と複数のポジションを柔軟に務め〔新生FC東京 王者相手に収穫の1敗「ゲームを支配した」 スポーツニッポン 2012.03.04〕、相手からのプレスを受ける中でも安定した連係プレーで守備網を破った。自身にとって初参戦となったAFCチャンピオンズリーグでの活躍からイラン代表の候補にもリストアップされたが〔Iranians to watch abroad – Aria Hasegawa ペルシアン・フットボール (2012年4月12日)〕、5月、キリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン戦に臨む日本代表に初招集された〔サッカー日本代表に本田復帰 長谷川は初選出 47NEWS (2012年5月18日)〕。2013年はFC東京での副主将に就任〔副主将にアーリア&米本 ポポ監督ビックリ人事 東京中日スポーツ (2013年2月19日)〕。同年9月、東慶悟の欠場に併せて左サイドハーフからトップ下へ移ると〔アーリア 2戦連続トップ下 東京中日スポーツ (2013年9月27日)〕、躍動感溢れるプレーで同月のリーグ戦連勝を支え、クラブ初となるJリーグ月間MVP〔同賞は、2013年3月から表彰が始まり、長谷川はJ1全体では6人目の受賞。〕を受賞した。シーズン終了後にはFC東京との契約延長を基本合意〔FC東京 長谷川アーリアと合意、来季残留が基本線 スポーツニッポン (2013年12月29日)〕。 2014年、長谷川が父と慕うポポヴィッチ〔FC東京・長谷川アーリアジャスール、ポポヴィッチ監督の魅力を語る! サッカーキング (2013年12月29日)〕はセレッソ大阪の指揮を執るに当たり、自身の戦術を体現する選手〔全40クラブ戦力分析レポ:C大阪 (cache ) J's GOAL (2014年2月25日)〕として長谷川獲得を熱望〔アーリア C大阪に移籍へ 東京中日スポーツ (2014年1月9日)〕。長谷川も自身の出場機会を重視したことで〔C大阪 長谷川アーリア獲得へ ポポヴィッチ監督も信頼 スポーツニッポン (2014年1月9日)〕移籍へと翻意し〔FC東京・長谷川C大阪移籍決定的 デイリースポーツ (2014年1月9日)〕、1月に同クラブへの完全移籍が発表された〔長谷川アーリアジャスール選手 セレッソ大阪へ完全移籍のお知らせ FC東京 (2014年1月16日)〕〔FC東京 長谷川アーリアジャスール選手完全移籍加入のお知らせ セレッソ大阪 (2014年1月16日)〕。攻撃陣との好連携を築き〔柿谷・山口ハツラツ。セレッソ大阪のキャンプは絶好調 sportsiva (2014年2月9日)〕、J1第4節鹿島戦では強烈なミドルシュートを突き刺して〔【J1:第4節 鹿島 vs C大阪】レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2014年3月24日)〕移籍後初得点を記録した。その後はチームの不調もあって中盤でバランスを取る役割を強いられ、苦心のプレーが続いた。 2015年7月、ポポヴィッチが指揮するリーガ・エスパニョーラセグンダ・ディビシオンのレアル・サラゴサへ完全移籍〔長谷川アーリアジャスール選手 レアル・サラゴサに完全移籍のお知らせ セレッソ大阪 (2015年7月2日)〕〔Acuerdo para la incorporación de Aria Jasuru Hasegawa レアル・サラゴサ (2015年7月2日)〕。同年8月の開幕節ミランデス戦で早速フル出場したが、12月に長谷川の移籍を後押ししたポポヴィッチ監督が解任された事もあり2016年1月29日に契約解除となった。 3月29日に湘南ベルマーレに加入する事が発表され、Jリーグ復帰となった〔長谷川アーリアジャスール選手 加入のお知らせ 湘南ベルマーレ (2016年3月29日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長谷川アーリアジャスール」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Aria Jasuru Hasegawa 」があります。 スポンサード リンク
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