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長谷川善三 : ウィキペディア日本語版
長谷川善三[はせがわ ぜんぞう]

長谷川 善三(はせがわ ぜんぞう、1923年1月6日 - 1998年2月12日、幼名・恵三)は鳥取県出身のプロ野球選手コーチスカウトスコアラー。ポジションは遊撃手二塁手投手三塁手外野手
==来歴・人物==
米子中学校4年次の1939年全国中等学校優勝野球大会遊撃手としてベスト8入りした(主将を務めたのは土井垣武)。5年次から1941年南海入団後も投手だったが、2年目から遊撃手に転向。1943年応召。戦後1946年に南海と契約していなかったので、土井垣の伝手で大阪と契約した。打撃では主に8番を打ち、打率も二割前後であることが多かったなど、得意ではなかった。しかし、1947年には、リーグ最多犠打を記録した。守備に関しては一流で、その華麗なプレーは当時「スワロー」(飛燕)と評されたという〔。ゴロを捕球する際ボールを身体の正面で扱わないという、当時珍しいスタイルのプレーをしていた。1949年オフ、西鉄クリッパースに移籍。1951年オフ自由契約になるものの、毎日オリオンズに入団。
1953年オフ、高橋ユニオンズへの供出選手になり移籍。1954年に引退。その後は、評論家をしていた。
1967年に西鉄の二軍コーチとして現場復帰。1969年まで務めた。
その後は、ロッテでスコアラー・スカウトとして活動した。1998年2月12日、死去。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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