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長谷川 悠(はせがわ ゆう、1987年7月5日 - )は、日本のプロサッカー選手。ポジションはFW。あだ名はハセ、モンゴル。 == 来歴 == 1987年7月5日に出生した。その際、右足首が曲がっていたため、しばらく大学病院で治療を受けたという〔週刊サッカーダイジェスト 2009年11月17日号 54-57頁 日本列島ルーツ探訪 第23回より〕。 小学校入学の頃に成長痛のため激しい運動ができず、サッカーを本格的に始めたのは小学3年生になってからであった〔。当初は増穂サッカースポーツ少年団に入団したが〔当時のチームメイトに柏好文がいた。〕、練習量を求めて5年生の時にトラベッソFCに移った。 中学生時代にはナショナルトレセンに選出されるなど山梨県内では知られた存在になったが、本田裕一郎監督の誘いを受け〔、流通経済大学付属柏高等学校に進学した。流経大柏では、全国高校サッカー選手権に初出場した際のメンバーになった。 2006年、柏レイソルに入団した。この年はリーグ戦初出場を果たしたが、10月に東海社会人リーグ1部に所属し、JFL昇格を目指していたFC岐阜に全国地域リーグ決勝大会を戦うメンバーとして短期レンタル移籍された。岐阜では1得点を挙げ、JFL昇格に貢献した。 2007年にはJ1に復帰した柏に長谷川自身も復帰したが、出場機会のないままJ2のアビスパ福岡にレンタル移籍された。 2008年、福岡でチーム統括グループ長として長谷川を呼び寄せた小林伸二が監督に就任したモンテディオ山形に三たびレンタル移籍され、小林の個人指導〔一例として、山形複数得点へ長谷川にマルチゴール指令 日刊スポーツ 2008年5月10日付の記述を参照。〕を受けながら才能を開花させた。リーグ戦39試合に出場し13得点を挙げ、山形のJ1初昇格に貢献した。 2009年は山形にレンタル延長の形で残留した〔長谷川 悠選手 モンテディオ山形へ期限付き移籍延長 柏レイソル公式サイト〕。開幕節の磐田戦で勝ち越しゴールを含む2得点を挙げ、チームの6-2という大勝を導いた〔モンテ、J1開幕戦で大勝 磐田戦6-2 山形新聞 2009年3月7日付〕。その後も得点を重ね、チームトップの10得点を記録した。その活躍ぶりから、サッカー雑誌などのメディアでは日本代表に推す声も聞かれるようになっている。前述の活躍によって2010年シーズンから、山形へ完全移籍加入となった。 山形のJ2降格に伴い、2012年から大宮アルディージャに完全移籍。 2015年、徳島ヴォルティスへ完全移籍〔長谷川 悠選手 完全移籍にて加入決定のお知らせ 徳島ヴォルティス 2015年1月7日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長谷川悠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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