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長谷川正安 : ウィキペディア日本語版
長谷川正安[はせがわ まさやす]
長谷川 正安(はせがわ まさやす、1923年 - 2009年8月13日)は日本の法学者。専門は憲法フランス近代憲法。名古屋大学名誉教授。
== 人物 ==
1923年茨城県土浦市で、4人兄弟の末っ子として生まれる。関東大震災後に品川区武蔵小山長屋に家族で移住。1943年徴兵。1945年乗船中の輸送船機雷により大破、舞鶴のドックで終戦を迎える。この戦争体験から日本軍に反感を持ち、軍隊、組織嫌いとなり、企業就職を拒否し、研究者の道を歩むことを決意するようになる。
1946年(昭和21年)東京商科大学(現一橋大学)卒業後、1949年26歳で名古屋大学助教授に就任。1956年に名古屋大学法学部教授に就任すると独自の法理論の、特に主権論で日本国憲法第9条の問題に対して独自の理論を展開している。「真の意味での独立主権国家でしか自衛力は保持はできない」とする自説をもち、戦後憲法学の一翼を担った。議会解散権についても「衆議院は国民に信を問うため『自覚的解散権』を持つ」とするなど、国民主権論についても独自の理論を持っている。
日本共産党系の憲法研究者として、政治運動にも積極的で、世界科学者連盟副会長(1990年 - 2000年)、原水爆禁止日本協議会理事長、憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員、愛知憲法会議代表委員、日本科学者会議代表幹事等を歴任。愛知憲法会議は坂田昌一真下信一新村猛らとともに設立した〔2009年08月14日 朝日新聞〕。
1996年に妻が死去した後は、覚王山のマンションで一人暮らしをしていたが、2009年8月13日名古屋市内の病院で死去、享年86。
弟子に名古屋大理事・副総長を務めた森英樹立命館大学教授の大久保史郎岐阜大学地域科学部長の竹森正孝國學院大學教授の植村勝慶札幌学院大学教授の伊藤雅康などがいる。
憲法学者の長谷川憲工学院大学教授、名古屋大学法学修士)は長男〔2009年08月14日 中日新聞〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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