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長谷川透[はせがわ とおる] 長谷川 透(はせがわ とおる、1897年(明治30年)4月〔『新編日本の歴代知事』1092頁。〕 - 1977年(昭和52年)6月13日〔『朝日新聞』(東京本社発行)1977年6月14日夕刊、9面の訃報より。〕)は、日本の内務官僚。官選宮崎県知事。 ==経歴== 京都府出身。長谷川吟之助の二男として生まれる〔。第三高等学校を卒業。1919年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1920年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。農商務省に入り工務局属となる。その後、内務省に転じた〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』225頁。〕。 以後、福井県理事官、愛媛県理事官、内務省社会局事務官兼内務事務官、同社会局書記官・社会部職業課長〔『官報』第1655号、昭和7年7月7日。〕、同大臣官房文書課長などを経て、1937年6月、大阪府書記官・総務部長に就任〔。 1939年9月、宮崎県知事に就任。1941年1月に退官し、大日本産業報国会労務局長に就任〔。戦後、公職追放となった〔。
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