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長谷川鉄之進[はせがわ てつのしん]
長谷川 鉄之進(はせがわ てつのしん、1822年(文政5年) - 1871年12月14日(明治4年11月3日))は、幕末の勤皇家、志士。名は世傑、字は公輿、号は強庵。贈従四位。 == 概要 == 越後長岡藩栗生津村出身。家は代々庄屋であった。15歳のとき私塾長善館に入門。26歳で江戸に遊学し、朝川善庵に師事する。ペリー来航後は尊皇攘夷を唱え志士活動に身を投じ、京都に上る。文久3年(1863年)の七卿落ちに伴い長州藩へ向かう。元治元年(1864年)には長州藩軍と共に上京し禁門の変を戦うが敗走。長州藩諸隊の一つ忠勇隊軍司となった。高杉晋作の功山寺挙兵の際は忠憤隊を結成し協力した。後に郷里に帰り、北越戦争時は居士隊幹部として活動している。明治に入って間もなく京都で没した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長谷川鉄之進」の詳細全文を読む
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