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長谷部 言人(はせべ ことんど、1882年6月10日 - 1969年12月3日)は東京都出身の人類学者、解剖学者。日本学士院会員。 == 来歴 == *1882年 東京麹町に生まれる。生粋の江戸っ子だった。 *1906年 東大医科を卒業、解剖学教室で小金井良精の指導を受けた。 *1907年 小金井の推薦により、京大医科解剖学教室の足立文太郎の助手となった。 *1908年 同助教授になる。 *1910年 健康を害して東京に戻る。 *1912年 新潟医学専門学校講師となる。 *1913年 新潟医学専門学校教授となる。 *1914年 退職 *1915年 ミクロネシア文部省調査隊員として参加。東北大助教授となる。 *1920年 東北大教授となる。 *1933年 - 1935年 医学部長を務める。 *1938年 東大理学部助教授となる。 *1939年 人類学教室を人類学科として改めて学生をとることにして、主任教授となる。 *1943年 定年退職 *1944年 東北大名誉教授となる。 *1946年 東京大学 理学博士 「石器時代日本犬(邦文,英文)」。〔博士論文書誌データベース〕 *1951年 - 1968年 日本人類学会会長をつとめる。 *1953年 日本学士院会員となる。 *1969年12月 死去 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長谷部言人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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