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長連愛 : ウィキペディア日本語版
長連愛[ちょう つらよし]
長 連愛 (ちょう つらよし、宝暦11年5月28日1761年6月30日) - 天保2年10月13日1831年11月16日))は、加賀藩年寄。加賀八家長家第8代当主。
父は加賀藩年寄長連起。母は三田村監物の娘。正室は前田図書貞一の娘。子は本多政礼室。養子は長連郷、長連弘。官位は従五位下甲斐守。
== 生涯 ==
宝暦11年(1761年)加賀藩年寄長連起の子として生まれる。寛政12年(1800年)2月、父連起の死去により家督と3万3000石の知行を相続する。同年12月従五位下甲斐守に叙任。享和2年(1802年)4月藩主前田斉広家督相続の御礼言上の際に江戸城で将軍徳川家斉に拝謁する。同年11月、藩財政の最高責任者である御勝手方御用主附となる。文化8年(1811年)5月、養子としていた弟の連郷が、先立って没したため、文政2年(1819年)2月、外孫の連弘を継嗣とする。文政5年(1822年)12月、藩主前田斉泰家督相続の御礼言上の際に江戸城で将軍家斉に拝謁する。天保2年(1831年)10月13日没。享年71。墓所は金沢市野町開禅寺。家督は外孫の連弘(本多政礼次男)が相続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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