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長野女王(ながののじょおう、生没年不詳)は、平安時代初期の女官。 内教坊に女嬬として出仕する。弘仁8年(817年)に同宿の女嬬であった出雲家刀自と謀り、同宿した知人の船延福女を絞殺して衣服を奪い、顔の皮を剥いで遺骸を宮の外に打ち捨てた。この罪により、同年5月27日出雲家刀自とともに伊豆国に流罪となった。〔『類聚国史』巻八十七「刑法部」一〕 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長野女王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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