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長野藤継[ながの ふじつぐ] 長野 藤継(ながの ふじつぐ、宝徳元年(1449年) - 文明18年7月5日(1486年8月4日))は、室町時代後期(戦国時代)の伊勢の戦国大名。長野工藤氏の第11代当主。左衛門佐。子に金丸虎嗣?。 宝徳元年(1449年)、第9代当主・長野宗忠の子として生まれる。寛正3年(1462年)に兄で第10代当主の長野政藤が早世したため、家督を継いで第11代当主となる。応仁の乱では西軍(山名氏)に属して、東軍(細川氏)に与した北畠氏と対立し、桑名まで進出する。また土岐氏とも同盟を結び、北畠氏を圧迫した。文明11年(1479年)に北畠政郷が侵攻して来たときには、これを破って長野氏の勢威を高めた。 文明18年(1486年)7月5日に死去。享年38。戒名は良祥院殿秋月浄慶大禅定門。跡を弟の長野藤直が継いだ。 == 関連項目 ==
*長野工藤氏
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長野藤継」の詳細全文を読む
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