翻訳と辞書 |
月形龍之介[つきがた りゅうのすけ]
月形 龍之介(つきがた りゅうのすけ、1902年3月18日 - 1970年8月30日)は、日本の俳優。本名は門田 潔人(もんでん きよと)。俳優の月形哲之介は息子。 戦前から戦後の約半世紀の間時代劇スターとして活躍し、阪東妻三郎、大河内伝次郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「七剣聖」と呼ばれた。戦前期はニヒルな剣士役で人気を得、伊藤大輔監督の『斬人斬馬剣』などの名作に主演した。戦後は渋みと風格のある脇役となり、悪役も演じた。戦後の当たり役は水戸光圀で、14本のシリーズ作品がある。晩年はテレビドラマにも出演。生涯に出演した映画は約500本以上に上る。 ==来歴・人物== 1902年(明治35年)3月18日、宮城県遠田郡小牛田村(現在の美里町)に父・政司郎、母・ちとせの次男として生まれる〔『日本映画俳優全集・男優篇』p.366-367〕。 1906年(明治39年)、北海道岩見沢町で橘屋という劇場を経営していた叔父・門田養吉の養子となり〔イチオシ美剣士・月形龍之介 月形年表 〕〔、成長すると活動写真や芝居に親しむようになった。1914年(大正3年)、岩見沢尋常高等小学校を1年で中退し〔新撰 芸能人物事典 明治~平成「月形龍之介」の項 〕、雑貨屋に奉公。1916年(大正5年)、橘屋が焼失して東京に出ていた叔父を頼って上京し、旧制荏原中学に入学〔。剣道が得意で、三段の腕前だったという。しかし、女学生と恋愛問題を起こして中退することになり、その後は三田英語学校に転学した。 1917年(大正6年)、東京電機に入社したのを経て、1918年(大正7年)に幡ケ谷のタングステン工場に勤めるが、翌1919年(大正8年)に恋愛関係にあった志村サトと駆け落ち同然で京都へ行き、自活をするため映画俳優を志すようになる〔〔〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「月形龍之介」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|