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門田 芦子(かどた あしこ、本名:内山仲子〔『宝塚スター物語』丸尾長顕著、實業之日本社、1949年5月15日、78頁〕、1905年5月15日〔『歌劇』宝塚少女歌劇団、1933年1月、154号、4頁〕 - 1974年12月20日〔『歌劇』宝塚少女歌劇団、1975年1月、592号、43頁〕)とは元宝塚少女歌劇団(元月組主演男役クラス・元月組・星組組長)の人物である。愛知県名古屋市出身〔『歌劇』宝塚少女歌劇団、1927年7月1日、88号〕。宝塚歌劇団時代の愛称はチャマさん。 ==来歴・人物== 1919年、9期生として宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入学し、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。当時は学校と劇団は一体であった。 芸名は小倉百人一首の第71番:大納言経信(源経信)の「夕されば 門田の稻葉 音擦れて 蘆の丸屋に 龝風ぞ吹く(ゆふされば かどたのいなば おとづれて あしのまろやに あきかぜぞふく)」から命名された。 1932年、『ブーケ・ダムール』にて、断髪。ショートヘアの男役は、宝塚では史上初〔少女歌劇における、史上初の断髪の男役は、1930年9月に断髪した水の江瀧子(松竹少女歌劇部)である。門田はあくまで「宝塚初」〕。 1933年、月組組長。 1933年 - 1937年、初代星組組長。 1938年7月31日、宝塚少女歌劇団を退団。 退団後は歌劇団・音楽学校の寄宿舎の舎監を務める。 1974年12月20日〔、脳出血により逝去。享年69。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「門田芦子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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