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門脇 重雄(かどわき しげお、嘉永5年2月8日(1852年2月27日) - 大正10年(1921年)12月15日)は、日本の実業家、政治家。元渡村長、渡村会議員、鳥取県会議員、衆議院議員。鳥取県士族〔『人事興信録. 4版』(大正4年)か三〇〕。 == 人物概要 == 渡の日御崎神社神官から身をおこし新政府の高官となった門脇重綾の二男。福羽美静の東京英和学校に在学中父の死に遭い帰郷した。県会二期(第九代議長、第七代副議長)、国会三期を歴任し、県下の自由党、後の政友会のリーダーとして活躍した。養蚕業の振興、中海埋立をはじめ、米子銀行・県農工銀行創立や山陰電気株式会社設立等、殖産勧業面でも優れた業績を残した。〔『境港市史 上巻』昭和61年 510頁〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「門脇重雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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