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門野幾之進[かどの いくのしん]
門野 幾之進(かどの いくのしん、1856年4月18日(安政3年3月14日) - 1938年(昭和13年)11月18日)は、日本の実業家、貴族院勅選議員。千代田生命保険初代社長。勲四等。 == 経歴 == 志摩鳥羽藩の家老・門野豊右衛門の長子。実弟に大倉組副頭取の門野重九郎がいる。慶應義塾で中上川彦次郎らと同門になる。1878年(明治11年)板垣退助の知遇により土佐の共志舎の教頭となり、慶應義塾に戻る。1893年(明治26年)自由党の候補者として討って出る。1904年(明治37年)に阿部泰蔵らと共に千代田生命保険を創立。1932年(昭和7年)、貴族院議員に勅撰された。 明治6年に慶應義塾の教師となった後は、同教頭、同評議員、同理事、同臨時塾長となり、千代田生命保険社長、豊国銀行監査役、時事新報会長、交詢社会長のほか、日本無線電信設立委員、国際観光委員会、臨時ローマ字調査会委員等となる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「門野幾之進」の詳細全文を読む
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