|
間下 このみ(ました このみ、1978年4月27日 - )は、日本の写真家・女優・タレント。東京都葛飾区出身。1980年代にドラマ・バラエティ・CM・舞台などを中心に活躍した人気子役。中学入学後、学業を優先し芸能活動を自粛するが、2004年から女優、タレントおよび写真家として活動を再開。アミューズメントハウス所属。愛称は「このみちゃん」。 == 略歴 == 2歳でモデル事務所に所属。1983年、4歳のときに出演したキッコーマン「ガンバレ!玄さん」のCMで一躍ブレイクする(このCMは大きな話題を呼び翌年に別バージョンもオンエア)。 1984年、TBS系学園ドラマ「スクール☆ウォーズ」に滝沢賢治(演:山下真司)と妻の滝沢節子(演:岡田奈々)の娘・滝沢ゆかり役で出演(子役)。愛敬豊かで難しい役をこなす。また、橋田壽賀子の「大家族」(芸術座)で初舞台を踏む(当時5歳)。舞台出演としては、西友ミュージカル「アリババvs40人の大盗賊」の座長を8歳で務める。 当時の子役としては珍しくバラエティ番組にも数多くレギュラー出演。中でもフジテレビ「所さんのただものではない!」ではレギュラーを6年間務め、「委員長」の愛称とともに人気キャラクターとなる。1985年から放送されたフジテレビスポーツニュース番組「スポーツ特Q」ではメインMCを担当(当時7歳)。また、歌手としても、キャベツ人形のキャンペーンソング「キャベツ畑の子供たち」(キングレコード)、「夢を食べるレストラン」(トーラスレコード)などをリリースしている。 1985年には松下電器産業電子レンジ「エレック」のCMで、ACC全日本CMフェスティバルのタレント賞を受賞。レギュラー出演のドラマはほかに「機動刑事ジバン」(1989年、テレビ朝日)など。ドラマ・舞台・バラエティ・歌手・広告出演と幅広く活躍。1980年代を代表する人気子役となる。 その後女優活動を続けるが、私立中学入学と同時に学業を優先し芸能活動を自粛。高校卒業後、東京ビジュアルアーツ写真学科に進学。卒業後、より写真の世界を追求するためアメリカへ単身留学。帰国後は、女優活動を再開するとともに、写真作家としての活動も積極的に展開する。 2005年2月には写真作家としてビジュアルブック「届かなかったラヴレター あの空の向こう SPECIAL EDITION」を出版。写真書籍として異例のヒットを記録。 また、2004年6月には、写真の仕事を通して知り合った11歳年上の男性と結婚。2006年4月、自身のホームページ上で妊娠を明らかにしていたが、同年5月に6か月で死産。 同年10月23日に再び妊娠5ヶ月であることを公表すると同時に、難病(特定疾患)の「抗リン脂質抗体症候群」に罹患していることを告白。不育症、習慣性流産、血栓症などを引き起こす病気について啓蒙に努めている。 血栓予防の注射を毎日打ち続けるなど闘病を続ける中、同じく特定疾患である「全身性エリテマトーデス」の症状も併発。2007年3月15日予定日よりも約1か月早く緊急入院。翌3月16日午後2時57分、全身麻酔、帝王切開により無事女児(2,155グラム)を出産。同年3月29日、娘と一緒に出産記者会見が行なわれた。 2007年11月16日、書籍「ママになりたい… 〜ハイリスク出産を越えて〜 / たまご日記 〜ちいさな命の記録〜」を夫と共著で出版。「たまご日記」は病気が発覚した日から夫がソーシャルネットワーキング(SNS)に残していた実録日記。同11月18日に出版会見が行なわれた。 2013年2月22日には、同書が新たな加筆を加え「新版 ママになりたい… 〜ハイリスク出産を越えて / たまご日記 〜ちいさな命の記録」として講談社から発刊されるとともに、NHKでドラマ化されることが公表された〔NHKアーカイブス 〕(タイトルは『ママになりたい…』)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「間下このみ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|