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間宮 綱信(まみや つなのぶ、天文5年(1536年) - 慶長14年10月10日(1609年11月6日)〔『新訂寛政重修諸家譜7』〕)は、戦国時代から江戸時代の武将、旗本。後北条家家臣。滝山城主北条氏照の与力。北条家滅亡後は徳川家康に転仕した。氷取沢陣屋主、氷取沢間宮家当主。 間宮信元の次男。笹下城主で間宮氏の総領間宮康俊の実弟。氷取沢間宮家の家祖。妻は宅間上杉家・上杉富朝の女。子に間宮正重、間宮頼次、間宮重信らがいる〔。 北条家の外交副使として織田家への使者を務めて織田信長に謁見している。その途上、徳川家康にも面会している。安土城を見た間宮綱信が総石垣城である八王子城の縄張りに関与したとされる。八王子城址の現地ガイドでは間宮綱信が八王子城を縄張りしたと案内している。 北条家滅亡後、間宮家中で最初に徳川家康に仕え、武蔵国久良岐郡氷鳥沢村(現在の横浜市磯子区氷取沢)に隠居料500石を与えられている。 江戸時代に新編武蔵風土記稿を編集した間宮士信は、この綱信の子孫に当たる。 == 菩提寺 == * 飯盛山宝勝寺 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「間宮綱信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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